
2020年のコロナウィルス騒動の最中、軽井沢には、どことなく敵対心のようなものが漂っています。この場所にいないと気づくにくい事かもしれませんので、ご紹介したいと思います。
軽井沢 VS 東京
軽井沢は観光業の街です。当然、そのような理由から、他の地域から訪れる人がたくさんいます。それはごく自然な事です。しかし、今回のコロナウィルスの蔓延により、それに対し、厳しい目が向けられています。決して東京に限ったことではないのですが、別のどこかから来る人が、一部の人からかなり「忌み嫌われている」印象を受けます。
当然、不要不急の外出が求められる今ですので、遊びや観光目的でのお出かけは避けるべきです。私もそれには賛成します。恐らく、他の地域でもこのような「外部から来る人、勘弁して」というスタンスは見られるでしょう。しかしながら、軽井沢では特に、そのような敵対心が高まっているような気がしています。
どのような理由で軽井沢にいるか
ただ決して、私は、そのような「敵対心を剥きだにしている人」を全面的に非難している訳ではありません。言い分としては、わかる部分があります。それが、スーパーに大挙した人たちについて。ニュースとして見ただけでなので、これがどこまで本当であるか、また規模がどれくらいであるかはわかりませんが、ツルヤに、買い出しのために来ている人が大勢いました。
買い出し目当ての人は論外
それも、軽井沢に住んでいない人が、わざわざ軽井沢まで来て、買い出しをしたとのこと。これがもし本当だとすると、少し、この地域に住んでいる人に対しての配慮がないように思えます。わざわざ軽井沢に買い出しに来て、それを東京かどこかに持って帰るとすると…人として褒められた行動ではありませんね。
どの地域であっても同じことです。別の地域に住んでいる誰かのことを考えない行為は、避けたいものです。
対立を避けながら見極めること
黒か白かという二者択一で話を進めるのは簡単ではありませんが、まずは、私としては冷静に物事を観察したいと思っています。前述のように、一部の、地域のことを考えていない行動に対して、地元住民が腹をたてるのであれば、その理由はよくわかります。一方で、そのほかの種類の人もいます。
日本人の危機意識の欠如
それは、シンプルにコロナウィルスの蔓延を真剣に捉えていない人です。最近になって、日本人全体の危機感が「ようやく」高まって来たような気がしますが、それまではあまりにも呑気でした。そんな「大丈夫でしょ、別に」という雰囲気の延長線上に「出かけようか」があるのではないでしょうか。そんな人がたまたま選ぶ先が軽井沢だったとすると、その人が、あまり歓迎されない、という構図が出来上がります。
先ほどの意図的な買い占めに比べると悪意は全くありませんので、その意味での違いはあります。そんな前置きをした上で、それでも、自粛要請がある中で、何も考えずにフラフラ出歩くその判断自体は改めるべきでしょう。
軽井沢の人の団結意識
軽井沢の人、と一括りにするのは好きじゃありませんが、この場所には、団結意識の強い人が多いように思えます。特に土地、そして、そこに住む人に対する絶対的な信頼、そしてプライドです。これは、いい悪いので話ではありません。自分の住む場所を大事にし、近所の人のことを仲間として愛する、というのは素晴らしいことです。
この団結意識ですが…今回の「部外者に対する敵対心」との相性がよろしくありません。だからこそ、余計に、おもむろに「嫌です、来ないでください」という雰囲気が、オブラートに包まれずに表現されているように思えます。
では軽井沢に来訪者は歓迎されるべきか
他の地域からの観光客を受け入れるべきか、という点については、私はもっと公的に強い縛りを設けるなどして、制限する方が賢い判断だと思っています。軽井沢に限ったことではなく、もともと人口が多い訳でない地域の医療設備などのサービスは、決して強いものとは言えません。
事実、いい感じの病院を探して、長野市の方や、はたまた群馬県の高崎市の方まで検索、検討するのは日常茶飯事です。このようなそもそものキャパシティの低いエリアに、他から多くの人が押し寄せることがあれば、今ここに住んでいる人にとっても、来る人にとってもよろしくない事態となるでしょう。
A地点がダメかもしれないと思ったらB地点に死に物狂いで移動する–そんな行動パターンは人間の本能を考えれば普通のことです。だからこそ、日本も(海外のいくつもの国を見習って)外出をもっと本格的に制限することが効果的かもしれません。
まとめ
非常にフレッシュさが大事な(その場で思った、感じたことをまとめることが重要な)類の記事ですので、このようなメモのような形式でお送りしました。これからの、私の身の回りで起こることを踏まえて、更新または新規記事の作成ができれば幸いです。