聖キリアキ教会は、ローマ皇帝ディオクレティアヌス統治下で殉教したキリスト教の聖女、聖キリアキを記念し建てられたものです。
キリアキは、ドロテウスとエウセビアの間に生まれました。生まれたのは日曜日。「キリアキ」はギリシャ語で「日曜日」を意味します。彼女が21歳の時、オスマン帝国のある軍事法官(カザスケル)が、自分の息子の理想的な花嫁だとして、彼女に目をつけました。話を持ちかけますが、キリアキは人生をキリストに捧げたことを伝え、その提案を拒否。
軍事法官はこれを快く思わず、一家をディオクレティアヌスに告発し、すぐに逮捕と拷問(死に至るもの)が命じられました。地元のキリスト教徒が彼女の遺体を引き取り埋葬しましたが、頭蓋骨だけは修道院に持ち込まれました。
1453年のオスマン帝国によるギリシャ支配開始依頼、キリスト教徒の扱いはスルタンによってまちまちでした。宗教の自由を認める者もいれば、制限・禁止する者も。1600年代初頭には、地元住民がアテネの商業地区に教会を建設。それが、この聖キリアキ教会です。非常に小さいことには理由があります。当時のスルタンに目を付けられることを恐れた住民たちが、短期間で素早く建設したのでした。
1830年のギリシャ独立戦争の勝利後、この地域の多くの建物は近代化の名の下に取り壊されました。しかし、聖キリアキ教会は無事に生き残り、アテネの中でも繁華街である一角に今も存在しています。
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