【特集】ウクライナの暴動;首都キエフで起きた暴動の背景に迫る!

 

写真が物語るウクライナの首都キエフ

 

ウクライナの首都キエフでの暴動が記憶に新しい今日この頃。まずは、「暴動が起こる前のウクライナ」と「暴動が起きた後のウクライナ」を写真で見比べてみましょう。「前」と「後」の合成によって一枚の写真がつくられています。惨劇の中心となった独立広場(Independence Square)は文字通り、焼け野原。暴動前の平和な雰囲気が嘘みたいです。

images: Striking Images of Ukraine Before and After the Recent Riots

ウクライナ、キエフで起きた暴動の背景

 

ウクライナ、キエフで起きた暴動の背景

 

ウクライナ、キエフで起きた暴動の背景

 

ウクライナ、キエフで起きた暴動の背景

 

ウクライナ、キエフで起きた暴動の背景

 

さて、続いてはウクライナ、キエフで起きた暴動背景に迫ります。

Why is Ukraine in turmoil? – BBC News

 

ウクライナのヨーロッパ志向

 

ウクライナの暴動の根元には、国内を二分する「国の方針」があります。一つは、ヨーロッパとの距離を縮め経済の自由化を進めていこうという考え。二つ目はロシアとの関係を強めていこうという方向性。ウクライナでは、前者の「ヨーロッパ志向」が圧倒的なマジョリティーです。実際、ウクライナではロシア語が通じますが、ロシア語で話しかけられると、あからさまに不快感を表す人も少なくありません・・・。

 

ウクライナの欧州連合加盟は・・・

 

そんな中、2013年の11月に、当時の大統領ヤヌコヴィッチが、合意に向けて進んでいた欧州連合(EU)との交渉を拒絶してしまいます。この行為が意味するところは、「ロシアへの傾倒」宣言です。欧州連合(EU)加盟への希望が一夜にして断たれた民衆は怒りを爆発させます。彼らが抗議を示すためにとった行動が、首都キエフにある独立広場(Independence Square)の占拠。

 

平和的な意思表示は暴動へ

 

占拠の時点での民衆の狙いは、平和的な意思表示です。占拠をしたものの暴力に訴える訳ではありませんでした。しかしその後、独立広場(Independence Square)で繰り広げられたのは、警察官による抗議活動中の学生への攻撃、抗議活動を厳しく取り締まる法律の制定など・・・。冒頭の写真が示すような暴動に繋がった背景は、これらの弾圧行為です。暴動の後期になると、「欧州連合(EU)加盟の夢が破れたことに抗議を示す」ことよりも「民衆を顧みず権力の座に固執するヤヌコヴィッチの退陣を求める」ことに重点が置かれていきます。

 

おわりに

 

ウクライナのキエフで起きた暴動。一時的な気持ちの高まりで起きたものではありません。そこには、長年描き続けた「夢の実現」を果たす事が出来なかった民衆の悲しみや怒りがあります。さらに、“暴動”という暴力的な行為が起こった背景には、ヤヌコヴィッチへの憤りが。物語りを知った上で見る、独立広場(Independence Square)の写真は、あなたに何を語りかけるでしょうか?「恐ろしい暴動」というよりは「信じる道を諦めない民衆の力」を感じませんか?

 

 

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