スターリンというとどのようなイメージが浮かびますか?一般的には、恐怖政治で大量虐殺を行った冷酷非道な独裁者と考えられています。しかし、最近ではソビエト連邦を独ソ戦争でナチスに対し勝利へと導き、工業化を促進し、アメリカと並ぶ超大国に押し上げた偉大な指導者という見方がロシアの人々の中で広がっています。
この肯定面・否定面を合わせ持つ、政治家スターリンを知るために大事なポイントを9つあげたいと思います。
1. スターリンの生い立ち
スターリンはロシア人ではなく、少数派の中央アジアのグルジア(現ジョージア)人で、貧しい家庭に育ちました。父親は靴職人で自分のようにスターリンには靴職人になって欲しいと願っていたということですが、母親は進学することを望み、スターリンは奨学金をもらって神学校で勉強しました。そのため、スターリンが偉くなった後も、母親はスターリンに「司祭になった方が良かったのに。」と言ったという逸話が残っています。スターリンの母国語はグルジア語(現ジョージア語)で、ロシア語は8歳または9歳になって学び、グルジア(現ジョージア)なまりのロシア語を話していたと言われています。
2. スターリンの容貌
よく見られる写真では、スターリンは大柄で威厳のある人物として写っています。しかし、このイメージはプロパガンダ用の写真で、実際は身長は165cm、顔には天然痘のあばたが多く残り、左腕は事故の後遺症で麻痺し、曲がっていて右腕より短かったということです。また、グルジア人(現ジョージア人)として、肌は浅黒く、茶色い瞳をもっていて、アジア的であったと言われます。スターリンが松岡外相を駅で見送った際には、「我々は同じアジア人だ。」と言って抱擁したという逸話もあります。
3. スターリンはペンネーム
ヨシフ・スターリンとして知られていますが、実はこれはペンネームで、本名はヨシフ・ベサリオニス・ジュガシヴィリです。スターリンはロシア語で、「鋼鉄の人」を意味します。彼が活動家時代に論文などを発表するときに使っていました。
4. 趣味は読書、映画観賞、レモン作り?
読書好きで2万冊以上の蔵書を持ち、1日500ページ読むと公言していました。また大の映画好きで、クレムリンの私設映画館でアメリカ映画を取りよせては鑑賞したり、映画を制作させたりしました。芸術も好きで、歌も上手であったとも言われています。他にも、ビリヤードで遊んだということで、ソチの別荘にはビリヤード室があります。晩年には家庭菜園を楽しみ、レモンを栽培して自慢していたという記録もあります。
5. 誰も信じれなくなったスターリン
晩年は、人間不信で、暗殺を恐れ、部下の部屋を盗聴させたり、同じ形の寝室をいくつか作り、どの部屋で寝るか寝る直前まで決めなかったほどです。
「私はもうおしまいだ。誰も信用できない。自分さえも。」という晩年の言葉が残っています。
皮肉にも、この猜疑心から、警備員は呼ばれるまで部屋に入ることを厳しく禁じられていたので、脳内出血で倒れたスターリンの発見が遅れ、処置が遅れたことも死に至った一因と言われています。
6. 影武者説
スターリンは、左腕に機能障害があったので、ポツダム会議の動画を見ると左腕は殆ど動いていません。つまり、両手で拍手をしている場面などは影武者である可能性が高いのです。晩年は疑り深くなっていた関係もあり、多くの公式の場には影武者が出ていたと考えられています。スターリンの影武者は現在2人は確認されています。
7. プロパガンダの活用
スターリンはプロパガンダを巧みに活用し、個人崇拝を作り上げました。自らをドイツに対する勝利に導いた偉大な戦時指導者として、また多民族国家であるソ連の指導者として賞賛する映画、ポスターや彫像が製作されました。
他にも次のようなプロパガンダがあります。
- 多くの都市はスターリンにちなんで改名された。例:スターリングラード(現ヴォルゴグラード)
- ソビエトの歴史書は、スターリンに革命においてより目立った役割を与え、他の側面も神話化するように書き直された。
- 芸術作品、文学、音楽で称賛された。
- 1944年のソビエト連邦国歌に名前が出ている。
- 大粛清で消えた多くの元の仲間を写真や歴史本から削除した。
- スターリンの写真は欠点が修正されて、肌はあばたが消されて、綺麗にされた。
8. スターリンの負のレガシー
スターリンの冷酷な独裁者のイメージを作った負のレガシーの中で大きいものは3つあります。
- 大飢饉:集団農園政策によるウクライナで発生した大飢餓は、「ウクライナ人の大量殺人」と呼ばれ、犠牲者の総数は、現在では330万~750万人に及ぶと試算されています。
- 大粛清:自身の政策に少しでも異論を唱えたり反対するものは容赦無く排除する政治的弾圧による死亡者は68万人〜120万人とされています。幹部政治家の粛清に留まらず、一般党員や民衆にまで及びました。「愛とか友情などというものはすぐに壊れるが恐怖は長続きする。」というスターリンの言葉に凝縮される恐怖政治です。
- 強制移住:1941年から1949年までの間にソ連領内に住む少数民族約330万人がシベリアと中央アジアの共和国へ強制移送されたと推定されています。そして移住させられた人達は、厳しい環境下で、感染症、栄養失調などで150万人以上が死んだと概算されています。
この冷酷な史実が、スターリンの死後、後継者によって公表され、スターリンの名前のついた都市は改名され、彫像は取り壊され、歴史の教科書からも消された時期がありました。
9. スターリンの正のレガシー

それではスターリンがソ連の歴史に残した肯定的なレガシーとはなんでしょう?
- 急激に産業化し、軍事力を強化した。
- 独ソ戦争勝利
- 第2次世界大戦勝利
- 領土を拡大し、安定させた。
- 結果、ソ連をアメリカと並ぶ超大国に押し上げた。
近年スターリンの肯定的な実績が見直され、ソビエト連邦時代の大国へのノスタルジアから愛国主義を唱えるロシアの人々の中で人気が上がってきています。最近の世論調査では、スターリンの肯定率は51%まで上がりました。
いかがでしたか?スターリンは、良い意味でも悪い意味でも20世期を作った最も重要な人物の1人です。冷酷非道な独裁者でしたが、彼の強力なキャラクターとリーダーシップが大きな役割を果たし、今はないソビエト連邦の工業化と軍事力の強化をし、大国へと押し上げたことも間違いのない事実です。これが、スターリンは多面性を持つ非常に複雑で矛盾に満ちた究極の政治家と言われる所以ではないでしょうか?
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